イシイの日々。

「元気でイイ子」に疲れたイシイ

改心

 

ワタクシこの度…

 

心を入れ替えました。

 

まあ、少々思うことがありまして…。

 

例えば、頭ではわかっているけれど心が納得出来ないってこと、ありませんか?理屈では合っているとわかるのに、心の底から同意できないというか…。私もたくさんありますが、今回は「パートナーとの関係性」について。

2年もの間に渡り、このブログで散々パートナーの不満を書いてきました。

「なんで、そんなこと言うの?」

「なんで、やらないの?」

「なんで、できないの?」

しかし、その不満の原因はなんと…

 

私だったんです。

 

恩師たちはパートナーについて口を揃えてこう言います。「あなたは自信を持てばもっと結果を出せる」そんなことを言われてなお、自信が持てないのは何故なのか?

昔々、出会った頃の彼はというと、自分を大きく見せようとして今より少し横柄でした。逆に私は新しい環境で自信が持てていない状態。周りの人たちはそんな私たちを見て、彼を調子に乗せるまいと彼を落とし、私のことを上げる。

その効果もあり、私は新しい環境で力をつけて評価と自信がどんどん上がっていきます。私より長くパートナーの近くにいた人達がみんな私の味方になってくれます。

そんな環境が10年あまり続いたらどうでしょう?

もちろん、パートナーにも悪いところはあります。やるべき事をやらなかったり、新しい環境に不慣れな私を馬鹿にしたり。だから、私もそんなパートナーを見返そうとして、だからこそ評価を貰えば嬉しかったし、だからこそ褒められたら調子にも乗りました。

 

だから10年もの間気付かなかった。

 

彼が堂々と出来なくなっているのも

良い結果を出しても自信が持てないのも

思うようにできないことも

 

私が彼から自信を

奪っていたからだったのだ

 

パートナーが胸を張っていられないのに、良い結果なんて出るわけないんです。

 

 

やっと、やっと、意味がわかった。

ここまで長かった。

 

だから、今度こそ本当に心を入れ替えて。

 

 

 

せるふさぼたーじゅ②

 

続き。

 

前回「後ちょっとのところで、自ら台無しにしてしまう行為」に名前があると知りました。名前が付いているということは、比較的良くある心理状態なのでしょうね。さて、そうと分かれば「原因」「対策」に取り掛かれる!

まずはどうしてそういった行為をしてしまうのか?というところ。

「全力で頑張って報われなかった時に心が壊れないために【保険】を掛けている」というのが行動の理由なのですが、ではなぜ【保険】を掛ける必要があるのかというと、そこには「自分への自信の無さ」が関係しています。

普通は物事がうまく回り始めると、調子に乗ったり気分が良くなるものですが、自信が無い人は心がこう叫びだすのです。

「俺がこんなに上手く行くはずがない!」

先天的なものなのか、周りの誰かに植え付けられたものなのかわかりませんが、表面上どんなに取り繕っていても心の奥そこで思っている「ダメな自分」「上手くいっている現実」がリンクせず「上手くいかないに決まっている」と思い込んで自ら進んで良い現実を壊してしまうのです。ということは、自信の無さを治さなければ破壊行為を止めることはできないのです。

 

では、どうすれば良いのでしょうか?

 

まず、過度に失敗を恐れないこと。

失敗はあくまでもフィードバックとして冷静に、【失敗】=【ダメな自分】ではなく、【失敗】=【自分に足りない部分を知る機会】と捉える。そうすれば、失敗したときに投げやりな気持ちになりづらくなる。

そして、なぜ自分は自信が無いのか分析する。

過去の大きな失敗のトラウマなのか、親や周りの人間に「お前はダメなやつだ」と言われ続けたのか、はたまた周りに優秀な人が多いのか。確かにすべて自信を無くすには充分な理由です。でも冷静に分析すれば、過去の失敗は過去のものでしかないし、「ダメな奴」と言われたのだって今は違うかもしれないし、もしかしたら優秀な人達が苦手なことが自分は得意かもしれない。とにかく全てにおいて挽回可能だし、実際に成長しているかもしれない。

でも、気持ちだけが置き去りになっている可能性があるんです。

 

失敗したら自分の全てが【ダメ】なのか?

違いますよね?

 

「ダメな奴」というレッテルを貼られたら

一生「ダメな奴」のままなのか?

そうじゃないですよね?

 

冷静に自分を俯瞰して見直してみたら?

思ってるよりできることがあるかもしれません。

 

失敗も成功も恐れず、いざという時にチャンスを逃さないように意識改革が必要です。

 

私自身はもちろん、自分のパートナーに自信を持って貰うためにも…。

 

 

 

せるふさぼたーじゅ①

 

「セルフサボタージュ」( 自己破壊行為 )

 

という言葉、知っていますか?

目標達成や幸せを目前にして、無意識のうちに自らそれを破壊・妨害してしまう心理的行動パターン。コンフォートゾーン(安心圏)に留まろうとする「自己制限的思考」であり、先延ばし、自責、失敗への恐れなどが特徴。 

との事。

私がこの言葉を知ったのは一昨日のこと。

最近ちょっと思うことがあり、パートナーへの接し方を変えてみていました。(優しく…という方向性に)すると良い変化があり、ちょっと良い兆しが見えました。

その矢先、パートナーが話している最中に急にイライラし出し、怒っているような態度になってしまったのです。きっかけも特になく「何故?どうしたの?」という感じ。先程までの良い雰囲気はどこはやら。気分は台無しです。

そう。

「せっかく上手くいっていたのに」

「評価が上がってこれからって時に」

という時に「台無し」になることがよくあるのです。こちらからすれば「ここで頑張ればもっと良くなるのに!」と、もどかしい思いをたくさんしてきました。そして今回も同じ状況に直面して、その行為に名前があることを知りました。

わかりやすい説明がありました。

試験の前日に掃除をしたくなる事ってありますよね?それは無意識に「掃除をしちゃって勉強ができなかったんだよね」という理由を自ら作って、失敗から自分の心を守るのです。

 

なぁ〜るほど。とてつもなく納得。

つまり…

 

全力で頑張って報われなかった時に心が壊れないために「保険」を掛けているのです。

 

ん〜、わからんでもない。

いや、とてもわかる。

でも、そのままじゃいかん。

さあ、どうすべきか?

 

 

 

続く…。

 

共感の必要性

 

こういうこと言うとまた「冷たい奴」って思われそうですが( ̄∇ ̄)

先日我がパートナーと、これからの人生について割と大事な話をしていたんです。その中で、意見が一致したんです珍しく。それで、しんみりと話していたら、どうやら意見は一致しているのですが、その答えに至る道中が全くちがう模様。常々思っていますが、本当に正反対の人間性なのです。

詳しくは割愛しますが、つまりは「鬼を倒す!」という目的で旅をしていて、犬は「親の仇を討つ」という理由で猿は「鬼に勝って武勲をあげたい」だったとしても「鬼を倒したい!」という目的が一緒であれば良いと思うのです。武勲を上げたい猿ってなんやねん

スポーツだってそうだと思いませんか?

単純にそのスポーツが「好き」でプロになる人、「有名」になりたくてなる人、「お金」が欲しくてなる人。いろんな人がいると思うんです。もちろん才能がないとなれない職業ではありますが、理由なんてみんな違いますよね?でもチームの為に頑張るのは同じじゃないですか。

 

例え話が長くなりましたが、だから何が言いたいのかと言うと

ちゃんと目的が一致しているのだから、理由まで合わせようとしなくていいじゃん!

私には私の理由がある。別の思考回路からたまたま同じ答えに辿り着いただけだから「なんで君はこう思わないの?」って言われても、思わないものは思わない。私もそこは共感してもらわなくて良いと思ってる。それでも目的も道のりも一緒にするって言ってるやん。

武勲をあげたい猿「私は鬼を倒して、富と名声を得たいのです!あなたもですよね?!」

親の仇を討ちたい犬「いや、私は復讐が達成すればそれで良いのです」

武勲をあげたい猿「なんでわからないのですか!有名になりたいでしょ?!お金欲しいでしょ?!」

親の仇を討ちたい犬「私には必要ではありません」

武勲をあげたい猿「どうしてわかってくれないんだ!もう、あなたとは旅をできない!」

親の仇を討ちたい犬「…(俺は倒すときに協力して欲しいだけなんだけど…)」

 

私は夫婦関係や仕事関係なんでもですが、普通は意見が違うから話し合いで擦り合わせをしたり、それでも合わなくて喧嘩したりするじゃないですか。他人と意見が一致するだけでも奇跡だと思うんです。だから理由を相手に伝えるのは良いと思うんです。

武勲をあげたい猿「私は鬼を倒して、富と名声を得たいのです!」

親の仇を討ちたい犬「私は復讐を達成したい」

武勲をあげたい猿「理由は違えど目的は一緒!共に戦いましょう!」

親の仇を討ちたい犬「はい、協力しましょう」

 

 

で、いいじゃんて。

 

ちなみに…

 

 

 

これって共感できます?

 

 

 

偏屈は損

 

ストレートに「うん」と言えない時。誰しもがそう言った一面を持っていて、状況と相手によっては頭ではわかっていても「言いたくない…」という時があると思います。

 

ただ…

 

それが、常となると非常に面倒くさい。

 

「自分はそういうのは苦手だから…」

と言っていながら陰で

「あの人、声もかけてくれないんだよ」

と言っていたり

「こういうのどうですか?」

と提案すれば

「自分には勿体無いですよ〜」

と言い、結局

「そこまで言うならそれで」

と、人のせいにする。

 

 

……

 

 

 

めんどくせぇぇぇーーーーーーー!!!!!

 

 

こういう奴って、死ぬほどプライドが高いんですよね。だから、何かイベントに参加するにしても「自分から」は行かない。誰かが誘ってくれたから「仕方なく」行く。という事にしたい。何かを勧められたら、すぐには受け入れない。あなたが「どうしても」というので受け取ってあげる。本当は喜んでるくせに。

 

しかし、それが通用するのは相手の気持ちをちゃんと慮れる人のみ。言葉をそのまま素直に受け取るタイプや、私のように気持ちは読めるがその通りに動かないタイプには通じません。

 

本当は行きたいのに「いや〜自分はちょっと…」なーんて「〇〇さんが来ないと始まらないですよ!」待ちの空気出そうものなら

「あ!そうなんですか〜!苦手ならもう誘いませんね!」

本当は欲しいのに「いや〜それは僕には勿体無いから…」なーんて「そんなことありませんよ!」待ちの空気出そうものなら

「わかりました!こういうの好きじゃないんですね!」

 

と、素直に引き下がるとなんだか寂しそう。そして、陰で文句言うのです。そもそも相手にわざと気を遣わせるのがムカつくし、素直に言えよ!と苛立っていたのですが、ふと思ったのです。

 

「この人、ずっとこうやって損してきたんだな〜」

 

きっと素直に行動しないせいで、色々逃していると思います。実際、この手の人の言葉をそのまま実行して後で「誘われなかった」と文句を言われたことがあります。つまり、素直に「行きたい!」と言わなかったことでその人は出たいイベントに出られなかったわけです。

まあ、そう考えるようになったら「かわいそうな人だな…」と思えるようになったので、腹の立つことも少なくなりました。

 

偏屈は損、損。

 

素直が1番ですよ。

 

 

強制執行はじまる

 

※お金の話じゃありません!

 

数年前から職場を2拠点にしました。

理由としては、希望があったからその声にお応えするというものでしたが、そこに至るまでに少し時間を要しました。

 

個人的な視点で見て数カ所で仕事をするというのは、多くの仕事を請け負うことができるので、移動などのコストを差し引いても効率は良いと思います。ですが雇い側からしたら、今まで毎日いた従業員がいなくなるわけです。簡単に外に出そうとはしないのが普通でしょう。なので私の場合も、他に取られるのは困るし腹が立つということで、話は進みませんでした。

 

しかし、その話が出始めてしばらく経ったある日、例のパンデミックが起きて流れが大きく変わります。

まず電車移動の時間が長い私は、今まで通り出勤することはままならなくなり、お客様達も騒動が沈静化するまでは休むという方も増え、あれよあれよと他の職場から来て欲しいと言われていた曜日に空きが出たのです。決して良いとは言えないキッカケですが、それを機に仕事の時間を整理してもう一つの職場に行けることになったのです。

そしてこの出来事の驚くことは、もうひとつの職場である程度稼ぎが出せる様になった瞬間に、今までの職場のお客様が家庭の事情やご病気などでどんどんいなくなってしまい、一時的にお給料が半分程になってしまいました。もう一つの職場で働いてなかったらどうなってしまっていたのかと思うほどでした。

 

そして、時が経ち。

新しい職場の方では着々と仕事が増え充実して、1日では少し足りないかな…と思う日々の中、いつもの職場では人間関係や色々なストレスで「この日は嫌だな…」と思う曜日が2年ほど前くらいからありました。

すると今年に入り、半年ほどでその曜日をまるっと空けられるほどまたお客様の減る波が来たのです。それだけ聞くと悪いことの様ですが(実際に良いことではないですが)私にとっては、渡りに船。人が来ないなら仕方がないと大義名分が出来てしまったのです。

 

 

もう、そういう「流れ」に入っているのです。

 

 

私がぐずぐずしていたので強制的にそうなるような流れがきて、止まっていた話がどんどん進んでいきます。

 

つまり…

 

 

成らぬものはまだ時ではないし

成る時はなりたくなくてもなってしまう

 

 

結局、そう決まってるんです。

 

客観的にこの流れを見て、恐ろしささえ感じます。

 

運命って本当にあるのかも…なんて思ってしまう。

 

 

 

 

よき理解者

 

「あの人、怖いって聞きましたよ?」

 

それに対する私の印象は

 

「え?怖かったこと一度も無いけど…」

 

さて、これは私の恩師の話です。

言うことはハッキリ言う先生ですが、昔の先生のような理不尽に厳しかったり、貶したりしてくることはありません。むしろ「何でこんなに優しいんだ…!」と驚くほどに優しい。

ですが。

冒頭で書いたように、人に厳しく当たっているのは見たことがあります。しかし「理不尽に」ということではありませんでした。生徒側の言い分に筋が通っていなかったり、先生の教えを聞いていなかったりと、厳しくする正当な理由があったように見えました。

その厳しさがその人達には必要なのだと。

 

つまり、ただ厳しいだけでも、ただ優しいだけもなく、その人にとって必要な態度をとっているというだけのことなのです。

 

「怖い」と言われるような人は厳しさが必要な人に向けて。

「優しい」のは、自信をなくしやすい人に向けて。

 

素晴らしい功績と人間性なのに、自分を押し付けてくることは決してせず、でもしっかりと導いてくれて、こちらの話を最後まで聞いてくれるし、中立を守りつつ味方もしてくれるけど、絶対敵には回らない。

 

本当に「良き理解者」なのです。

 

昨日、心が折れそうになりました。(なんどめ)

今日、恩師のおかげで既に持ち直しております。

 

そんな師を持てて私は幸せです。

それだけは本当に感謝。