イシイの日々。

「元気でイイ子」に疲れたイシイ

ものぐさと毎日の飲み物

 

「面倒臭がり」で「完璧主義」な私の闘いの日々をお届けします。

 

本日の敵はこちら。

 

 

毎日の飲み物問題。

 

  • コーヒー
  • 粉末のサプリメントを水に溶かしたもの
  • ミネラルウォーター500ml

 

面倒臭がりのくせに、健康も手放したくない私が毎日欠かさずに飲んでいるのがこの3つ。

 

コーヒーは単純に好きなので毎日飲みたい!あとは、眠気覚ましや運動前にカフェインを摂ると集中力が上がると言われているので、その効果も期待。

 

粉末のサプリメントとはBCAAという必須アミノ酸の事です。こちらは、運動時の疲労軽減と筋肉の分解の抑制の効果があります。もうこれがないと運動できないくらい、身体の疲れ方が違います。

 

BCAAとは別にミネラルウォーターで水分を摂っています。これは湯船に浸かって汗をかきながら水分補給する用で、脱水症状対策です。

 

コーヒーはマイボトルを持参し、出勤時にコーヒーショップで購入。サプリメントは職場に粉末とシェイカーを用意して、職員は無料で使えるウォーターサーバーの水を使ってシャカシャカ。帰りにミネラルウォーターをコンビニで買うといのが日課でした。

 

 

しかし、問題が浮上。

 

 

①洗い物がダルい。

 

マイボトルの良いところは飲み物の保温・保冷に優れているところですが、それに有り余って面倒のはパーツが多いところ。衛生面は保ちたいけれど、分解して洗うのがダルいという心の葛藤。シェイカーを洗うのも何気に面倒臭い。

 

②重い。

 

コロナの影響で経費削減のため、職場のウォーターサーバーが撤去されてしまい、水を自分で買って行かざるを得なくなる。毎日500mlのペットボトルとマイボトル入りのカバンが肩にめり込む。

 

③高い。

 

毎日出勤時にお水とコーヒーを買う為、コンビニとコーヒーショップに寄り、帰りもコンビニで買い物するのがとてつもなく面倒臭い。その上、水もコーヒーも1番安いものを選んでも500円前後かかる。1ヶ月にしたら1万5千円ではないか!

 

 

何とかこれらを解決したく、色々試しました。

 

結果↓

 

  • コーヒーは持ち歩かない
  • ネットで水をケース買い

 

に辿り着きました。

 

コーヒーは朝起きたら家で飲んでから出かける事にしました。ドリップコーヒーでも全く問題ないし、どうしても外出先で飲みたくなったら買いますが、とても稀です。

何よりマイボトルを洗うよりマグカップを洗う方が断然楽でした。 何故かあれだけ持ち歩くことに拘って思っていたのか不思議でなりません。

 

水はネットでまとめ買いできるものを探していたら、いつも飲んでいる銘柄が40円近く安いものを発見しすぐにポチり。家でサプリメントを溶かして持っていくことに。飲み終わったら職場のリサイクルボックスに捨てればOKなので、シェイカーを洗う手間も無くなりました。

 

結果、持ち歩くのは500mlのペットボトル1つ。

 

洗い物は無くなるし、荷物も軽くなるし、コンビニやコーヒーショップに寄る際の余計な買い物をしなくなるので、ついでにお財布にも優しい。

 

コーヒー片手に小洒落た感じで出勤することはなくなりますが、なにせ快適。

 

快適が一番。

 

ものぐさ極めて効率的に。

 

 

早く、ゆったりと生きよ

 

「ゆっくりとゆったりは違う。」

 

私が恩師に言われた言葉です。

 

 

私の恩師は、「え?監視カメラで見てる?」というくらい普段の私の生活をピタリと当ててしまいます。

 

「あなた、朝ギリギリに起きて朝ごはんもろくに食べずに慌てて家を出てくるだろ?行動を見ていればわかる。」

 

時間に遅れた訳でもなく、身なりもきちんと整えて、ダッシュした故の息の乱れも抑え、涼しい顔をして現れているにも関わらずです。恐ろしい。

 

つまり、それが普段の行動や仕事の姿勢に現れているのです。

 

日本語って難しくて、同じ漢字でも違う読み方をしたり、逆に読み方が同じでも漢字が違うと全く意味が変わってきたりします。

 

例えば「早い」「速い」

意味を調べると、

 

【早い】物事を始めたり終わったりする時期や時刻が前である。

【速い】 一定の距離を動くのに要する時間が少ない。

 

と、書いてあります。

 

私は「早い」はタイミング「速い」はスピード、と捉えています。

 

 

それを踏まえて恩師の言葉の振り返ると

 

「あなたは、始めるのが遅い。だから何事も急いで【速く】やらなくてはならなくなってしまう。そうではなくて、【早く】始めてゆったり行動するんだ。そうしたら、慌てふためくことはなくなる。」

 

恩師の言うところの【ゆっくり】とは「タイミングが遅い」事。

 

朝の支度に例えるなら、起きるのが遅く、準備を急いでしなくてはならず、家を出るのがギリギリになってしまう。

仕事ならば、締め切り直前までダラダラし、ヤバい!となってから手をつけ始めるといった感じ。

 

言葉は似ていますが【ゆったり】とは「余裕を持つ」事。

 

前日の夜に次の日の準備をし、朝はやく起きて朝食を済ませ、コーヒーを飲みながら家を出る時間をリラックスに使う。

締め切りの期日に余裕を持って仕事を終わらせ、余った時間は自分の為に使う。

 

だから、「早く」行動を開始する人は【ゆったり】しているので余裕があるように見えて、逆に【ゆっくり】行動を開始する人は「速く」しないとならないので、忙しなく見えます。

そんなに忙しくない人が忙しいアピに勤しんでいる反面、沢山の仕事を抱えているはずの人が、趣味の時間を謳歌してたり時間に余裕があるように見えるのは、「早く」行動開始しているからなんですね。

 

そうするとあら不思議、見た目が逆の印象になるのです。

 

私はその恩師が慌てているのを見た事がありません。それも早く用事をこなして自分の時間を過ごしているからなのでしょうね。

 

まだまだそんな優雅な生活には程遠い私ですが、良い師に出会えたことに感謝しつつ、まずは明日の準備をして、早く寝るところから頑張ろうかしら。

 

ということで

 

おやすみなさい。

 

望むと現れるもの

 

「理想の〇〇」皆さんにはありますか?

 

例えば、「理想の家」と聞かれたらどんな家を思い浮かべるでしょうか?

広くてキレイでオシャレで駅に近くて、高層タワーマンションの最上階でうんにゃらかんにゃら…「理想の家」ひとつとっても人それぞれだし、数え切れないほどの条件がありますよね。

 

ハッキリ言ってキリがない。

 

家に限らず、理想の〇〇の条件は天井知らずでいくらでも出てきます。もちろんそんな完璧に願いを叶えたものはなかなか存在しませんし、あったとしても手に入れるのは難しいことが多いでしょう。

なので、大体の人は少し妥協をして折り合いをつけて良いものを探すと思います。

 

だがしかし。

 

そのキリがない欲望が自分の中から尽きるまで吐き出してみたらどうなるでしょう?

 

ここからは私と私のパートナーの話をします。

 

当時、私はパートナーとの関係にとても悩んでいました。というのは、彼は元々わがままで、それがあまりにエスカレートして手がつけられなくなってしまっていたのです。

疲れて不機嫌になるのは当たり前、やらなければならない事から逃げる、私に八つ当たりするとクズのフルコースです。

それでも別れずにいたのは、私たちの尊敬する恩師や先輩方が彼のことを見捨てなかったからです。

でも、その恩恵もそろそろ限界が近づき初めて本気で彼との別れを考え始めた時に

 

「もし彼と別れたら私は、次はどんな人と付き合いたいのかしら?」

 

もちろん、優しいであるとかギャンブル、浮気はしない人とか漠然とした理想はあるけれども、優しいけど一緒にいて楽しくない人は嫌だし、素敵な人だけど女の影が常にあるとかはあり得ないし、いろんな要素があり過ぎてそれだけでは決め手にならないのです。

 

これでは別れてもまた同じような男と付き合ってしまうと考えた私は自分の欲望をとことん分析してみることにしました。

 

結果。

 

「理想の恋人の条件BEST28 」

 

が出来上がりました!

当時はこんなにあるんか…って自分に引いてましたが、今思えばさほど多くないような。でも、ノートに理想を書いていくうちに「自分の中にこんな思いがあったのか」という自分でも気付かなかった発見がありました。

見た目には拘らないと思っていたけれど、見た目に関する項目が多かったり(本能ですから…笑)1人は寂しいからラブラブがいい思っていたけど、意外とひとり時間や自由を重んじていたり。

 

書いたタイミングがパートナーと別れようか悩んでいた時だったので、当たり前ですが彼とは反対になる様な条件も多かった気がします。

 

結局、周りの先輩方の尽力もありつつ別れるには至らなかった訳ですが、そのあと何が起きたかというと、なんと彼が 「理想の恋人の条件BEST28 」に勝手に近づいていったのです。

 

例えば、虚弱な彼に対して「健康的な人」という理想を書いたのですが、私が促したわけではないのに彼がダイエットを始めたのです。大好きだった甘いジュースや爆食をやめて自炊するようになり、痩せるだけではなく本当に前より健康になりました。

あとは「精神的に安定している人」彼は何か嫌なことがあるとすぐにぐずって塞ぎ込んでしまったりするタイプなのですが、少しずつそれが減ってきたのです。

 

これは神様に願いが届いたとかそういう類のものではなく、「私の意識が明確化」したからだと思うのです。

 

前述の通り、分析するまで自分でも気付かなかった思考・願望が自分の中にあった訳ですが、それをクリアにする事で自分が人生において何を大事にしているかの輪郭がクッキリと浮かび上がってきました。

 

それが私の気持ちを変化させ選ぶものが変わったり雰囲気や言葉の端々に現れていたようで、結果それに影響されて彼も少しずつ変わっていったようです。実際に周りの人からも「最近雰囲気が変わったよね」と言われたりもしました。

 

私はそれまで理想が現実化する時は、パッと場面が変わるような衝撃的な出来事や、白馬の王子様的な出会いがあると思っていたのですが、どうやらそうでもないらしく、自分の思考がクリアになった状態で行動する事で、周りがそれに反応し、少しずつ自分を取り囲む世界が変化を起こしていくという仕組みになっていたようです。

 

もうこれで最後だと、別れる覚悟を持って自分を見つめ直したら相手が理想に寄せてくるという奇跡。不思議なものです。

 

人間関係に関わらず、何かに迷ったら理想をとことん突き詰める。そうすると奥底に眠っている本当の気持ちが見えてきます。自分の強欲さに少々の恥ずかしさはありますが、現状を脱却する為のとっかかりになるのではと思います。

 

お試しあれ。

 

ものぐさと完璧主義の共存

 

かねてからものぐさに定評のある私ですが、完璧主義の気質も持ち合わせています。

 

そんな相反するように思えるようなふたつの要素が同じ人間の中にあるものなのか?と思えますが、私はこの2つの要素に翻弄されながら常に生きています。

 

そして最近は案外いい意味で共存できるもんなんじゃないかとも思っています。

 

何事にも良い側面悪い側面があるからです。

 

まず、面倒臭いという感情は怠惰であるとか、逃げ腰のようなよろしくない印象がありますが、実は良い所もあります。

それはどうにかして効率化を図ろうとする所。

何か作業に取り掛かる時に「どうしたら楽にこなせるか?」を考えます。楽をするというのは悪い事と思われがちですが、効率化という言葉を使えばむしろ良い言葉に変換できます。

 

逆に完璧主義の悪い所は、作業が前に進まず完了できなくなってしまう事がまあまあの確率である所。完璧にしたいという欲求が強すぎるあまり、いらん所まで拘ってしまうのです。もちろん良い所は、手を抜くことがないのでゴール出来た時の結果の質は高くなります。

 

この2つの悪い側面が集まってしまうと、「完璧に出来ないから面倒くさい、辞めてしまおう」となってしまい

 

気持ちは「完璧主義」

なのに行動が「面倒臭がり」

 

という割と最悪なパターンに陥ります。

 

しかし、これが逆ならどうでしょう?

 

「面倒臭がり」の気持ちで効率化を図り

「完璧主義」の行動力で質を上げる。

 

そうすると、限りなく手順を省いた効率の良い作業を手を抜かずにやる事で短時間で成果を上げられる事になるのではないでしょうか?

 

つまり、この順番が大切なのです。

 

始めから完璧にこなそうと思うと、どんどん作業の量が増えていき、完了する事が難しくなります。完了出来たとしても見直す時間がないので、ミスを洗い出したり改善する時間がありません。

 

短時間で出来る事柄というのは軽視されがちですが、見方を変えると変なこだわりがない分、早く完了することが出来ます。早く完了できれば、ミスや改善点があった時にも対応することができ、結果的に質は上がっていきます。

 

どんなに良い人でも変な趣味があったり、すごく悪そうな見た目の人が優しかったり、全てのことに色々な側面があります。

今までここは自分の悪い部分だ、と思っていた所が、もしかして他人から見たらそれが良い部分と取られることもあるかもしれません。

 

なので、色んな方向から物事を観察する習慣をつけると思わぬ発見がありますよ。

 

 

と、まあ偉そうに語ったものの、ものぐさの勝率がまだまだ高いのですが笑

 

 

生まれ持った性分みたいなものは変えることが難しいです。

でも考え方を変えるだけなら、今よりも少し自分と上手く付き合えそうな気がしますよね。

変化すべきでないもの

 

「変化をする」

 

という言葉にポジティブとネガティブ、どちらの印象を受けますか?

 

「現状維持は衰退」という言葉があるくらいですから、ポジティブに捉える方の方が多いでしょうか?

 

私も基本的にはポジティブな印象を受けます。自分自身が成長をするには、変化することが必須だと思うからです。

 

しかし、「変化させてはいけないもの」があります。

 

それは「目的」です。

 

当たり前じゃん!と思うかもしれませんが、これをずっと長い間はき違えていたんです。

 

例えば、楽しむ事を「目的」に絵を描く人がいたとしましょう。

初めはひとりで絵を描くことを楽しんでいたとしても、そのうち誰かに見せたい、評価されたいという欲求が出てきます。そして友達に見せたり、SNSにアップをします。勿論、良い評価をされたり称賛されることもあると思いますが、それと同時にきっと悪い評価をする人や貶す人が出てくるでしょう。

いいねに心を乱され一喜一憂し、99の良い評価より1の悪い評価が気になってしまい、いつしか評価されることが「目的」になり、評価が悪ければ「意味がない」と思うようになります。

普通のメンタルの持ち主であれば、絵を描き続けるのが難しくなるかもしれません。

 

でも絵を描く本当の「目的」は「楽しむ事」だったはずですよね?

 

なので本来で変えるべきは、絵を公開するプラットフォームであったり、評価を気にし過ぎてしまう自分の心なのに、「目的」「楽しむ」から「評価される」変化させてしまった為、絵を描くことが出来なくなってしまった。

これでは意味がないです。

 

私はとても面倒くさがりです。

私生活ではお湯を沸かすのが面倒くさくてカップラーメンを食べるのを躊躇し、人間関係についても衝突するくらいなら折れてしまうかその人から離れてしまった方が楽だと感じ、怒るのをやめてしまいます。

 

でも「これだけは譲れない」という、それを変えてしまっては自分が自分でなくなってしまうような「芯」になる思いを変化させてはいけないのです。

 

その「芯」をぶれさせない為に変化をしなければならないのです。

 

私は人との衝突を避けるあまり、納得がいかないことがあっても、滅私する事を選択し「芯」を簡単に曲げていました。ともすれば我慢が美徳とまで思っていたかもしれません。

しかしそうすると、相手には私が何を考えているか伝わらないし、周りも私が辛そうにしていても、何を望んでいるかが分からず助けることもできないのです。

 

なので、 面倒くさいけれども

 

時に、相手に怒りを表明して抗議をしなければならないかもしれない。

 

時に、大切な人と距離をとらないといけないかもしれない。

 

そして、生きる為にはお湯を沸かしてお腹を満たさなければならない。

 

 

とても面倒くさいけれども。

 

 

「目的」を「変化」させるのではなく

「目的」を曲げない為に

「変化」しなくてはならないのです。

 

そうしたら、自分の人生に「いるもの」「いらないもの」がくっきりと見えてきて、我慢する事が減るのです。

 

自分を変えるのは良い事。

間違いではありません。

 

でも自分の「目的」や「芯」は変えてはいけない。

 

自分が自分でなくなり、何を取捨選択したら良いか分からなくなってしまいます。

 

「目的」を達成する為に、自分自身を変化させることができたらその時に「成長」を感じることが出来るのではないでしょうか。

 

何もしてないの定義

 

痩せている人にスタイル維持の秘訣を聞いたら

 

「何もしてない」

 

という言われた経験、ありませんか?

 

 

ところで、自分の身体のなかで自慢できるところってありますか?私は胸を張って言えるところはあまり無いのですが、褒められる事が多いのは「おでこ」でしょうか。

 

生え際と眉毛の間隔は広くも狭くもなく、形は丸いアーチ型、うぶげはそこそこ、目立つシワはあまりなく、つるっとしてます。

 

生まれつきの形の話はさておき、キレイなおでこを保つためになにか特別な事はしていないので、

 

「何かしているの?」

 

と聞かれたら、まず

 

「何もしてません」

 

と、答えるでしょう。

 

 

しかし、本当に「何もしてない」のか?と言われれば恐らくそれは嘘になります。

 

何故なら、もう「何もしてない」レベルに進化した「習慣」はあるからです。

 

私の褒められおでこに貢献しているであろう生活習慣をまとめると

 

・顔を強く擦らない

・肌に合ったメイク落とし&化粧水を使う

・シワを寄せない

・汗をかく

 

以上4つになります。

 

 

【顔を強く擦らない】

これは昔テレビで見てから洗顔、メイク時に必ず実践しています。最大限優しく、メイクも出来るだけ筆を使わず、指で軽くのせるだけ。

 

【肌に合ったメイク落とし&化粧水を使う】

値段に関係なく自分に合ったものを使うとお肌が荒れません。特にメイク落としは大事。

 

【シワを寄せない】

子供の頃、ムスッとした顔をしていたら母に「そんな顔してるとブスになるよ」と言われたのが強く印象に残っていて、眉間にシワを寄せたり、口をへの字にする表情をしないように心掛けています。

 

【汗をかく】

ほぼ毎日20分間、湯船に浸かって汗をかいています。 脱水症状にならないようにお水を飲みながら。疲労をとる目的で始めましたが、お肌も効果があります。

 

 

これらは最初こそ意識して取り組んでいましたが、今は日々のルーティンに組み込まれていて無意識にこなしています。

 

「息をするように〇〇をする」という言葉があるように、自分では意識してやっていないことを人間は「何もしてない」と定義してしまうんです。だから実際にはやっていることがあったとしても、その人にとっては特別なことは何もしてない」ということになるんです。

 

スタイルを維持する方法なら一般的に「運動」「ヘルシーな食生活」などがあると思いますが、これらも毎日続けていればイベントではなく生活になります。

 

人から見ると努力に見える事でも、続けて習慣化してしまえばそれは日常の一部になっているので、本人にとって「何もしてない」は謙遜でも何もなく本当のことなのです。

 

最初の少しの間だけ頑張って「習慣」になってさえしまえば、あとは努力をしている感覚も無くなり、無意識に続けられるようになります。

 

前述の私の習慣も、人に尋ねられて初めて言語化したらあんな感じになりました。「何もしてない」と感じるくらい日常に溶け込ませることが出来れば、自分の目標に近づくのがほんの少しだけ楽になるかも。

 

 

あと、顔にシワを寄せないは印象も良くなるのでめちゃオススメです。

 

お試しあれ。

「所詮は顔と若さですよ」

 

ある日、同僚はそう言いました。

 

 

私はシニア向けにとある分野の技術指導する仕事をしています。基本的には生徒さんからスクールの方にレッスンのお申し込みを頂いて、スクール側から相性が良さそうな教師に生徒さんが割り当てられます。また、逆のパターンで生徒さんの方から教師を指名することもまあまあ有ります。

 

そうすると、やはり人気が出るのは「美人」

男性であれば「イケメン」

 

もちろん人間性や技術の高さも大事なのは百も承知ですが、第一印象で見た目が良い方に人が集まるのは、これは本能なので仕方がない。

 

私の職場にもとても美人の先輩がいたのですが、例に漏れず人気がありました。

 

同僚と他愛無い雑談をしていると、その美人先輩の話になり冒頭のセリフが登場。

 

「いくらこっちが努力しても男なんて顔と若さで選ぶんですよ」

 

 

(ん…?)

 

 

「ま、まあ、あれだけ美人だったらしょうがないですよ〜」

 

と相槌を打ちつつ心の中はモヤモヤ…。

 

 

「私が今まで勝ち取ってきたものは全て自分の努力の成果だと思い込んでいたけれど、もしかして違うの???」

 

 

誤解しないで頂きたいのが、これは私がとてつもない美貌の持ち主という話ではなく、今までのお客様からの指名や、自分のされてきた評価が、「努力や自分の持つ技術」ではなく若さや見た目など「他の要因からくるものであったかもしれない」という可能性にショックを受けたのです。

 

いつだったかの事。

新規入会の男性がどの先生に習おうか迷っていたところ、私の担当している生徒さんが声を掛けて私の事を推薦してくださいました。ところが男性はこう言ったのです。

 

「あの若い彼女のような方に習いたいなあ」

 

男性が指名したのは、ほんの少しだけ職場にいた研修中の女性でした。彼女は小柄で顔は可愛らしく天然な性格で、私よりも歳上だったのですがかなり若く見えました。

 

「お゛ん?💢」とおもいつつも、私は実年齢より年上に見られることも多く、実際には彼女より私の方が若かったのでその時はさほど気にしませんでした。(声を掛けてくださった生徒さんもあのオヤジ超失礼!と一緒に怒ってくださったので救われました笑)

 

ただ、この時はたまたまその研修の女性が選ばれる側でしたが、逆の立場だったこともあったのではないか?

 

何故なら私は10代からこの仕事をしているので、上司や同僚、後輩も含めほとんどが歳上だったのです。歳上の、私より技量も経験もある先輩から生徒さんが移ってくることもしばしば。その時は単純に自分が選ばれた喜びで何も考えていなかったのですが、もしかしたら選択基準が「若さのみ」であったら…??

 

自分の評価に今まで勉強したことや磨いた技術が加味されていないと思ったら、少しだけ虚しい気持ちになりました。そして、そういう事実も確かに少なからずあるでしょう。

 

でも、全てを見た目や若さだけで選ばれたと一括りにしてしまったら、本当に自分の内面を気に入って来てくださっている方々、そしてその美人の先輩にも失礼な話ではありませんか。

 

美人の先輩だって、もともとの顔も整っていますが毎日オシャレな服を着て、毎日髪をアイロンでキレイに巻いて、スレンダーな体型を保っている訳です。それだって立派な努力。何より、入り口は見た目でもその人と関わっていたくなる何かが無ければ人間関係は続きません。

 

「所詮、顔と若さ」

 

そんなふうに言いたくなる時も、人生にはあるかもしれません。

でも、その言葉って自分自身の努力自体も否定する事になっちゃいますよね。それに、その人のことが好きな人達もそんなこと言われたら悲しくなってしまいます。

 

見た目の美しさと若さはいつか少なくなってしまうもの。それ以外にも、たくさんの魅力を身につけることができたら、自分の努力してきたことが報われる日がくるのではないでしょうか?