イシイの日々。

「元気でイイ子」に疲れたイシイ

人は見た目が10割

 

不穏なタイトルですが。

これは顔の造形の話ではありません。いや、最終的にそうなるのかもしれませんが、それも理由があると言う話。

少し前ですが、職場でお客様トラブルがありました。内容はよくあるもので、料金が高いとか思ったのと違ったとか、そんなような話です。私が直接関わったわけではないのですが、客観的に見ていて「やっぱりな」と言う印象でした。

まず、見た目が変。

具体的には「その場に不適切な装い」

その場に不適切な装いとは「不特定多数の人に不信感を感じさせる格好」です。髪はボサボサ、服はうっすら汚れているような感じで、作業着を彷彿とさせる服装。もちろん作業着が悪いのではありません。動きやすくても清潔感のある服装をしている方が大半を占める中、とても浮いていました。

誤解を恐れずに言うと顔だってそうです。

その人は常に怒っているような、不機嫌そうな顔つきをしているのです。他のお客様が不安を感じ「あの人、大丈夫?」と声をかけてくるほど。

そして案の定トラブルを起こしました。

 

「見た目」というのは、その人を現します。

その場に適切な格好で来ることができない人は、最低限のマナーが守れていない人。

人との付き合いの中で最低限の笑顔を作れない人は、良好な関係を築こうとしているとは思えませんよね。

仕事だからどんな人でも受け入れる、というのは私は無理だと思っています。贅沢ではありますが、違和感を感じたらお受けしないようにしています。

見た目に違和感がある人は、中身もおかしいことが今のところ10割だからです。

中身が素敵な人って、見た目も素敵です。

変な人に時間を使って、自分をすり減らさないようにしましょうね。

 

 

鶏が先か卵が先か?

 

最近、とにかく「寝る」ということに重心を置いています。

大抵、晩ご飯の後に強烈な眠気に襲われ「睡魔vs片付けとお風呂を済ませたい私」の壮絶な闘いが始まります。結果どうなるかというと、片付けもできず風呂にも入れず、かといって仮眠をとるわけでもなく、ただただソファでゴロゴロする謎の時間が生まれるのです。

戦いに打ち勝ちお風呂に入れたとしても深夜2時過ぎ、睡魔に負けて仮眠をとるにしても「寝てはならぬ」という気持ちが強くてよく寝られない。そんな日々が続いていたある日、

 

ならばいっそ、睡魔に身を委ねるのも良いのではないか?

 

ということで「食べてすぐ寝たら牛になってしまう」という恐怖に臆することなく、睡魔の猛攻に抗うことなく陥落してみました。

 

結果はというと…

 

体調がめっちゃいい!

 

恐らく、単純に睡眠時間が増えたことに加えて早寝になったことで、睡眠の質が良くなったと思われます。何より、食事の後のまどろみ時間をじっくり味わえるのがとてつもなく気持ち良いのです。

気を付けなければならないのは、目覚ましのアラームをかけ忘れるとうっかり寝過ごしそうになることです。なので眠くなる前、食事の前にしっかりアラームをかけています。

しかし不思議なことに、早く、そして気持ちよく入眠するからなのか、アラームより早く起きることもしばしば。なので、今のところ夜寝た分の家事は朝できています。

 

おかげで、とっても気分良く生きています♩

 

さて、ここで思ったことが…

 

気分良く眠りについているから体調が良くなるのか?

早く寝て体調が良くなったから気分が良いのか?

 

つまり

 

気分が先か、体調が先か?

 

いまいちどちらが先かはわかりませんが、かなり相乗効果を得られている実感があります。

 

私が頑健な健康体なのもあるかもしれませんが、体調が良くない時はとことん気分を上げる、気分が良くない時はたくさん寝て体調を整えるというのも、どちらかを押し上げてくれる要因になってくれそうですよね。

 

ということで…

 

 

寝ます。

おやすみなさい。

 

 

…zzz

 

芽が出るタイミング

 

以前も少しだけ書きましたが、私はシニア向けの習い事のインストラクターをしています。その中で、こういうことがたまにあるのです。

 

職場の電話を取ると、相手は10年以上前に通ってくださっていたお客様でした。久しぶりにご来店いただき話を聞いてみると「少し行き詰まった時に、ここのことを思い出した」と言ってくださったのです。こんなに嬉しいことはありません。その方はそこから毎週のように通ってくださり、発表会に参加するまでになりました。

数年前にも同じような事があり、その方は海外在住で、日本にいる期間だけ通うという条件で来てくださっていました。予定通り海外にお帰りになった、その7、8年後。「誰だか覚えてる?」というお茶目なセリフと共に、またご来店いただきました。日本に帰ってきたから、本格的にまた習いたいとのことで、それ以来10年以上続けていただいています。

 

こういった事があると、その方達が一時的に離れた原因が私自身になかったのだと少し安心します。そして、思い出して来てくれたというのは、少なくともその人の中に私との時間が「良い思い出」として、残ってくれていたのだという事が、本当に嬉しいのです。

 

しかし、そのお二方。もちろん嫌な印象があったわけでは無いのですが、あえて言い方を選ばずに言うと、1回目の邂逅ではそこまで「良いお客様」と言うカテゴリには入っていなかったのです。それが数年の歳月を経て再び出会った時には、何故か「とてつもなく良いお客様」に変身していたのです。

よくある「ご縁」の話で

 

【ご縁がある人とは、一度離れてもまた会えます。一度離れるのはまだ「その時」ではなかったからです】

 

というのがありますね。

これになぞらえるならば、1度目の出会いは「種まき」で、そして【時】がきて2度目の出会いで「芽が出た」ということではないでしょうか。

つまり人は1度の出会いで完成するとは限らず、2度目、3度目で上手くいくことだってあるということです。(実際友達は3回告白して成功してます)

そして、そのいつ出るか分からない芽の種をまくためには、常に出会いを大切に、そして誠実に向き合うことが大事だと…身をもって感じました。

 

 

過去の私、good job!

 

 

本当の敵は誰だ

 

注意してくる人?

陰口を言ってくる人?

それとも…

 

先日、社内全体メールに通達がきました。

「オフィスに私物を置き過ぎないように」

私はハッとしました。

何故なら明らかに私に向けていたからです。

というのも、お客様との打ち合わせに使うために、私物をたくさん持ってきていたのです。少し場所を取るものだったので、事前に「このような事情で置かせていただきます」と会社には一報入れていました。しかし、荷物を持って帰るのが面倒で数週間ほったらかしにしてしまっていたのです。

これに関しては100%私が悪いので、ここまでは全く問題がありませんでした。

 

しかし、次の日。

荷物を持って帰ろうとまとめていると、ある同僚がこう言ってきたのです。

 

「〇〇が、「アイツ荷物たくさん置きすぎなんだよ!」って陰で文句言ってたよ」

 

そりゃ、私が悪いのは疑いようもありませんが、その言いように少し腹が立ちました。

 

「裏でそんな言い方するくらいなら直接言ってくれればいいのに」

 

そして、その〇〇が出勤してくる間に色々と考えました。

「すみませんねぇ、場所取っちゃって。そりゃ置きすぎなんだよ!とも言いたくなりますよねぇ…」

とか

「明らかに私の事なのだから、社内全体に晒さなくっても、直接言ってくれればいいのに!」

にしようか…とにかく「何か嫌な言い方」で仕返ししたろ!みたいな気持ちが湧いてきてしまって…。

しかし、渾身の嫌味を考えている途中にふと思いました。

 

これ、アイツが告げ口してこなかったら普通に丸く治った案件じゃね?

 

と。

 

メールが来た時に、私は数週間も荷物を放置したことに申し訳ない気持ちでいました。それに〇〇さんが直接言わずに全体メールに流したことも、言いづらかったのかもしれないし、今後こういったことが起きた時のための抑止力にもなりますよね。そして、その同僚に話を聞かなければ私は陰口を言われていたことにすら気が付かなかったわけです。

と言うことに気づき、私は矛を収めました。

 

 

 

つまり本当の敵は…

 

 

 

危うく、無用な諍いをするところでした。

 

 

吐き出す

 

悪いものを食べたら、お腹が痛くなるよう

ゴミが目に入ったら、涙が出るように

嫌な感情が芽生えたら、吐き出すべきではないでしょうか?

 

なんでか、怒りとか悲しみとかイライラって、抑えなきゃいけないような空気ありますよね。そりゃ、愚痴ばかり言っていたり怒ってばかりいるのは良くないと思いますが、そういった「マイナスの感情」を全く感じずに生きていくのは無理だと思います。

だからマイナスだろうが感情が湧いてきたら、ちゃんと感じる。そして人の迷惑にならないように、発散する。

 

かくいう私、感情を抑圧するのが大の得意でした。ある時は「滅私…滅私…」と心の中でずっと唱えていたり。(だいぶキテる)その時はそうしないと心が壊れてしまいそうだったからそうするしか無かったのですが、結果的に「だいばくはつ」して周りは「急にどうしたの?!」みたいな事になりました。

 

さて、発散というとお酒を呑むとかゲームをするとか皿を叩き割るとか、そういった方法も良いと思うのですが、私は「文字にする」という形でうまく消化できている気がします。

だいぶ前に「怒りは二次感情である」という見識を得たのですが(詳しくはこちら▶︎怒りは二次感情らしい - イシイの日々。)ムカつく時って、だいたい別の感情が元になっているんですよね。そしてその「元」となるもののほとんどが「期待」なんですよね。

 

プレゼントしたのに(期待通りに)喜んでくれなかった。

買い物をお願いしたら(期待とは)違うものを買ってこられた。

 

「期待」が無ければ、プレゼントなんて自己満足だし、買い物してくれただけで良しとしようとなるじゃないですか。(きちんと指定したもの以外を買ってくるのは論外)

 

そうやって自分が「何に」マイナスの感情を抱いたのか、「自分の中にある期待」から生まれたものなのか「自分の外にあるもの」の影響なのか、それらを明確にすると怒りが収まったり、これは怒っても仕方がないな、と素直に怒れたり。

何にせよ、身体の中に溜め込むということは無くなります。

 

それが、健全。

分析して、それでも怒りや悲しみがおさまらなければ…

 

 

皿でも割りましょう(^^)

 

 

改めて考える

 

このブログ開始以来、4日おきペースを程々に守りつつ続けてきましたが、ここに来て初めて2回空きました。

大事なコンペがありそれに対してとても集中していたのと、日数の計算間違いです(恥)

 

結果から申し上げますとコンペは惨敗、目標に遠く及ばずでした。負ければ、もちろん落ち込みます。そして「自分の心を守るために」言い訳をたくさん考えます。

 

負けたことを、自分の力が足りなかったことを素直に認めたくないから。

 

さらに、負けが続けるとこう考え始めます。

 

「自分は何のために頑張っているんだろう」

 

下手すると、すべてをやめたくなってしまうかもしれない危険な思考であり、でも、自分の気持ちを見つめ直すのに大事なことでもあります。

 

私の出した答えは…

 

「目標を見直す」

 

周りから勝つための進言、発破をかけられます。もちろん、私のことを思って。でも「本当のところ」どうなんだろうと思ったんですよね。ぶっちゃけると

 

「そもそも、勝負好きじゃないんですよ」

 

有名な詩の如く「色んな人がいていいじゃない」と言う気持ち。

現実、見た目の美しさを買われる人もいれば、頭脳を使う方が得意な人もいるし、誰にも真似できない技術を武器に戦う人がいるじゃないですか。

 

でも、じゃあ、なんでわざわざ人と比べられるコンペなんかに出るのか?

 

以前、神(恩師)は言いました。

 

「上手くなるということは、自分に納得するということだよ」

 

(マジ神大好き)

 

そうだ。

私は、私が納得するためにやっているんだと。

 

自分の気持ちを無視して「勝つことが目標」になっているから苦しいのだと。

「自分自身の成長に納得すること」が目標であり、順位がつくのはその「結果」であると。

 

そうだと思った、いや、というよりも「思い出した」という感覚です。

 

「勝たなければならない」というのは、周りに植え付けられた感情だったんです。私自身は勝ちたいわけじゃなかったみたい。でも、頑張ったらその結果(フィードバック)は欲しい。そのために勝負の世界にいるのだと思いました。

 

もしかしたら、これすらも壮大な「言い訳」かもね。でも、いいんです。

 

ここで諦めたら本当の負け」になっちゃうから。

 

続けていくために、頭の中も変えていかないとね。

 

 

 

解像度

 

踊りをやっている人は必ず一度は言われた事があるはず。

 

「ちょっと今ここでやってみてよ!」

 

答えは…

 

 

「出来るわけねーだろ!」

 

 

絵が描ける人には

「ちょこっと描いてみてよ!」

裁縫ができる人には

「簡単なのでいいから作ってよ!」

 

趣味のものならまだしも、プロに言う人がいるから驚きです。

これってその人が図々しいとか失礼とか、性質の問題もあると思うのですが、それ以前に物事に対する「解像度」が、かなり低いと思うのです。

多分、ひとつのことに真面目に取り組んだ事がある人なら、他の分野にも「ちょっとやってみて」なんてことは言わないはず。何故なら、そこまでに積み上げてきた時間や労力、掛かってきたであろうお金についても、身をもって知っているからです。

そういったことを経験していない人はその「プロセス」の解像度が低いのでこういう軽口を叩くのです。(それか何かそれ相応の実績があってその態度なら、相当人のことを馬鹿にしているか)

かといって、その人にとって「簡単」と感じるなら、搾取しても良い、というわけでは勿論ありませんし、誰にでも出来るようなことでも、同じ事が言えます。

例えば「X(Twitter)」に「おはようございます」と一言投稿するのは誰にでもできますが、365日毎日休まずやるというのは、簡単なようでなかなか難しいです。

 

一般的に大多数の人が「できない」事が「できる」というのは、どんなことでもその人の財産です。

 

それをタダで見たり貰おうなんて…

 

 

泥棒と一緒よね。