イシイの日々。

「元気でイイ子」に疲れたイシイ

変化すべきでないもの

 

「変化をする」

 

という言葉にポジティブとネガティブ、どちらの印象を受けますか?

 

「現状維持は衰退」という言葉があるくらいですから、ポジティブに捉える方の方が多いでしょうか?

 

私も基本的にはポジティブな印象を受けます。自分自身が成長をするには、変化することが必須だと思うからです。

 

しかし、「変化させてはいけないもの」があります。

 

それは「目的」です。

 

当たり前じゃん!と思うかもしれませんが、これをずっと長い間はき違えていたんです。

 

例えば、楽しむ事を「目的」に絵を描く人がいたとしましょう。

初めはひとりで絵を描くことを楽しんでいたとしても、そのうち誰かに見せたい、評価されたいという欲求が出てきます。そして友達に見せたり、SNSにアップをします。勿論、良い評価をされたり称賛されることもあると思いますが、それと同時にきっと悪い評価をする人や貶す人が出てくるでしょう。

いいねに心を乱され一喜一憂し、99の良い評価より1の悪い評価が気になってしまい、いつしか評価されることが「目的」になり、評価が悪ければ「意味がない」と思うようになります。

普通のメンタルの持ち主であれば、絵を描き続けるのが難しくなるかもしれません。

 

でも絵を描く本当の「目的」は「楽しむ事」だったはずですよね?

 

なので本来で変えるべきは、絵を公開するプラットフォームであったり、評価を気にし過ぎてしまう自分の心なのに、「目的」「楽しむ」から「評価される」変化させてしまった為、絵を描くことが出来なくなってしまった。

これでは意味がないです。

 

私はとても面倒くさがりです。

私生活ではお湯を沸かすのが面倒くさくてカップラーメンを食べるのを躊躇し、人間関係についても衝突するくらいなら折れてしまうかその人から離れてしまった方が楽だと感じ、怒るのをやめてしまいます。

 

でも「これだけは譲れない」という、それを変えてしまっては自分が自分でなくなってしまうような「芯」になる思いを変化させてはいけないのです。

 

その「芯」をぶれさせない為に変化をしなければならないのです。

 

私は人との衝突を避けるあまり、納得がいかないことがあっても、滅私する事を選択し「芯」を簡単に曲げていました。ともすれば我慢が美徳とまで思っていたかもしれません。

しかしそうすると、相手には私が何を考えているか伝わらないし、周りも私が辛そうにしていても、何を望んでいるかが分からず助けることもできないのです。

 

なので、 面倒くさいけれども

 

時に、相手に怒りを表明して抗議をしなければならないかもしれない。

 

時に、大切な人と距離をとらないといけないかもしれない。

 

そして、生きる為にはお湯を沸かしてお腹を満たさなければならない。

 

 

とても面倒くさいけれども。

 

 

「目的」を「変化」させるのではなく

「目的」を曲げない為に

「変化」しなくてはならないのです。

 

そうしたら、自分の人生に「いるもの」「いらないもの」がくっきりと見えてきて、我慢する事が減るのです。

 

自分を変えるのは良い事。

間違いではありません。

 

でも自分の「目的」や「芯」は変えてはいけない。

 

自分が自分でなくなり、何を取捨選択したら良いか分からなくなってしまいます。

 

「目的」を達成する為に、自分自身を変化させることができたらその時に「成長」を感じることが出来るのではないでしょうか。