人によって態度を変えるのはいかがなものか?
私は【有り】だと思います。
というか、変わってしまうものだと思います。
子供の頃の記憶の中にこんなものがあります。
まだナンバーディスプレイが普及しておらず、当然電話帳登録機能もある訳もなく、誰から電話がかかってきているのか判らずに電話に出ていた時代。母が電話に出ると声がワントーン声が高くなるのです。それを聞いていた私は「ママ電話に出るときぶりっ子してる〜」と指摘していました。
そりゃそうです。
現代であれば、誰から電話がかかってきているのか一目瞭然ですし、友達や家族からとわかっていれば、テンションが低かろうがため口だろうが、問題はありません。しかし当時は、相手が誰かわからない状態ですから聞こえやすいように、ハキハキと話さなければなりません。
それは電話口の相手に対する「媚び」ではなく、「気遣い」ですよね?
例えば、上司と友人に同じ様に話す人はいるでしょうか?中には目上の肩書きでもフレンドリーな方はいらっしゃると思いますが、上司に「ちょっとそれ取って」みたく、親や兄弟と同じ様に接するという人はなかなかいないでしょう。
お客様と友人、親兄弟と恋人、好きな人と嫌いな人、それぞれに対して少しずつ違う自分がいるはずです。
それを「あいつは人によって態度を変える奴だ」とは言わないですよね?
人によってキャラが違う🟰裏表がある
ではないのです。
何故こんなことを思ったかというと、私の好きな動画配信者の方のコメント欄にこんな書き込みがあったからです。
「他の人と話す時と、彼氏と話す時に声が違う」
「前とキャラが変わった」
いや、それ普通じゃない?
私だって親と恋人に接する態度は違うし、いくら仲が良くてもお客様と友人では対応が変わります。
「キャラが変わる」というのだって、そうです。子供の頃は物静かだったのに、大人になったらおしゃべりになる人や、○○デビューみたいに環境の変化に合わせて人格が変わってしまう様な事って誰にでもありますよね。
もちろん良いポジションに就こうという思惑で偉い人に取り入る人、いわゆる「媚を売る」人も中にはいるでしょう。そういう人に良い印象を持つ人は少ないでしょうが、それはその人の処世術であり、成功する人もいるでしょう。(人を蹴落として得をしようとする人は論外ですが)
時間が経てば誰しもが失敗して反省することがあって、キャラを変えたり話し方を変えたりして印象を良くしようとしたり、変化をしていくと思うんです。
それは単なるキャラ変ではなく「成長」ではないでしょうか?
人にはたくさんの側面があり、自分が「その人」だと認識しているのはほんの一部分だったりします。「あんな真面目な人がじつは…」「とても美人なのに○○…」なんてよくある話です。
人によって態度を変えるのはいかがなものか?
良い方向になら断然アリですよね。