「仕事とアタシどっちが大事なのよ!」
定番の喧嘩文句ですね笑
いや、笑ってもいられない。
なんとこの間、生れてはじめてこのセリフを口に出しそうになりました。冗談で言ったことはありますが真面目に言いそうになったのは初めて。
まあ結局、実際には言わなかったわけですが、何故こんなにも分りきっていて意味のないセリフが飛び出そうになったのか一旦冷静に考えてみることに…。
これを聞いたときにはじめは意味が分からなかったんですよ。
だって「仕事」と「私」ってそもそも「カテゴリ」が違うから比べようがないじゃないかと。
「食事」と「睡眠」どちらを選ぶのか?と聞かれているようなものです。
「食事」をしっかり摂っていたって「睡眠」ができなければ人間は生きていかれないし、「睡眠」を適正時間とったとしても「食事」しなければ死んでしまう。
「仕事」をしてお金があるから「私」と生活したり遊んだり出来るわけだし、「私」と一緒にいるために「仕事」をしていることだってあると思います。
それを自分の寂しさを埋めるために何故パートナーに選択を強制するのか?
なんてわがままなのか!と思っていました。(ごめんなさい…)
でも初めて自分がそういう感情に支配された時に、もしやこれはただのわがままではないのでは?と考える機会になりました。
まず、そもそも
私(一緒にいられないなんて無理!仕事なんてやめて!)
or
仕事(そんなに仕事が大事なら私なんていらないでしょ!別れて!)
この二者択一を迫っていると思い込んでいたんです。(迫っている場合もあるかもしれませんが)
でも、自分の感情を整理してみると
「一緒にいられないのが不満なわけではない(むしろ一人の時間がもっと欲しいくらい)」
「仕事をやめてほしい訳ではない(むしろもっとちゃんとしてほしいくらい)」
では、何故そのセリフが頭をよぎったのか。
思考をひとつひとつ取り除いて、最後にそこに残っていたのは
「ふたりの関係に対する無関心さへの虚しさ」
だったのです。
つまり仕事に嫉妬している訳でも、放っておかれている事に拗ねている訳でもないのです。ふたりで同じ道を歩いて行こうという気持ちが全く感じられなかった事に寂しさを感じていたのです。
仕事で疲れているのはわかります。だからって不機嫌になったり相手の気持ちを蔑ろにしてもよいのでしょうか?自分の方が給料が多かったら、好き勝手にやっても良いのでしょうか?
「きっと疲れているから酷いことを言うんだろう」「こういう時こそ広い心で受け止めよう」と、気付いたら相手に気を遣ってばかりで、2人の関係を良好に維持するために寛容で居続けることに疲れていたんです。
「ふたりの関係を維持する事に努力しない」
「きっと私の事なんてどうでも良いのだ」
「でも相手を責めたいわけじゃない」
「相手の事を嫌いになったわけでもない」
「私はどうしたらいいの?」
自問自答の末、自分でもどうしたいかわからなくなり、心の余裕が無くなって限界に達したところで例のセリフが出たのだと思い至りました。
夫婦でも恋人でも、関係を悪くしたい人はいないですよね。例え別れたくなったとしても、穏便に済ませたい人がほとんどだと思います。
自分に余裕がない時ほど難しいですが、相手に対する思いやりや気遣いを忘れてはいけない。それさえ出来ていれば、会う時間が少なくても、疲れていて相手を慮る事ができなくても、大事なパートナーにあんなセリフを言わせないで済むと思います。
必ずしも「仕事」と「私」を天秤に掛けただけの話ではない…そんな事を考えたのでした。