「怒る」
という行為が昔から嫌いです。
自分が怒られるのも嫌いだし、人が怒られているのを聞くのも嫌い。
自分自身が怒ることも嫌いです。
(私は覚えていないのですが、母の仕事場で騒いで怒られた時に、お説教が終わるやいなや「はぁ〜辛かった」といって周りにいた大人達を脱力させるようなお子様だったそう)
ただ、この場合は私がお仕事の邪魔をしているので、怒られるのは当然です。親が子供に良い事と悪い事を教えるために「怒る」のは、必要な事だと思います。(幼少の私は辛かった様ですが)
それ以外にも例えば、
・連絡がなく帰りが遅くなり何かあったんじゃないかとパートナーが心配して怒る。
・何か失敗をした時に誤魔化したり、反省しない、など誠意の感じられない態度に怒る。
そういった「相手のためを思った怒り」というのは、怒る方も怒られる方もつらいですが人間関係を良くするためにも大事なことですよね。
私が嫌いなのはそういった怒りでは無く
「自己中心的な怒り」のことです。
・思い通りにいかないから怒る
・苛立ちを関係ない人に当たり散らす
・疲れて不機嫌になる
誰もがこれらの標的になったことが1度くらいはあるのではないでしょうか?
または、自分もやってしまった事があると心当たりがある人もいるかもしれません。
誰しも、こういう気持ちがゼロではないと思います。不測の事態が起きれば心に余裕が無くなるし、疲れていれば他人を慮ることも難しくなります。
でも、だからこそ
誰しもが当事者になる可能性があるからこそ、その怒りの感情をコントロールしないといけないと思うのです。
「6秒ルール」とか「深呼吸する」とか、怒りを収める為の対処療法は世の中にたくさんありますが、元から「自己中心的な怒り」を無くすには、その「怒りの正体」を知らないとコントロール出来ないんですよね。
私が思うに、前述にもありますが「自己中心的な怒り」の正体はほとんどが
「自分の思い通りにいかないこと」
だと思っています。
他人が自分の希望通りに動いてくれない、自分の予想が外れて状況が思うように進まない、心身共に疲れ切って自分が自分の思い通りにならない事も憤りを生みます。
私は人には期待しないし、何かイラッとする出来事があったら自分の方が疲れてないか確認します。大体、怒りの感情が湧いてくるのって期待のし過ぎか、自分のキャパシティーをオーバーしている時なので、それを自分で理解していると「怒る」前に目が覚めます。
自分自身が憤らない為には
「そもそも思い通りにはいかない」
と理解する事。
そして、理不尽に怒っている人がいたら
「この人は自分の思い通りにならない現実に憤っているんだな」
と冷静な目で見る事。
そういう自分をコントロール出来ていない人を見るとめちゃくちゃダッセェなと思います。
「怒る」ってとてつもなくパワーを使います。
怒った後ってもの凄い疲れるんですよ。だから、私はなるべく怒りません。優しいわけじゃない。疲れるから、そこにエネルギーを使うのが勿体無いから怒らないんです。
自分のやりたいことにエネルギーを使った方が幸せだと思いませんか?
ダッセェ奴は放っておきましょう。